ドラゴンボール
Saturday, January 31st, 2009ドラゴンボールを久しぶりに再読。
もう何度も読み返して最後の方の流れ、終わり方なんかも全部わかってるけれど、それでも読むたびに寂しさを感じてしまう。
ぶるぶる。
もう10年以上も前に終わってるなんてびっくりだよなー。
最終回を読んだのは香港日本人学校への通学バスの中で友達にジャンプを貸してもらった時だったのを今でもよく覚えてる。
鳥山さん、改めてありがとう。
ドラゴンボールを久しぶりに再読。
もう何度も読み返して最後の方の流れ、終わり方なんかも全部わかってるけれど、それでも読むたびに寂しさを感じてしまう。
ぶるぶる。
もう10年以上も前に終わってるなんてびっくりだよなー。
最終回を読んだのは香港日本人学校への通学バスの中で友達にジャンプを貸してもらった時だったのを今でもよく覚えてる。
鳥山さん、改めてありがとう。
やけに昔を思い出しては眠れぬ夜。
コーヒーはあまり効かない体質だったはずなのにな。
独りになると全ての恋を思い出す。向こうから勝手にやってくる。
やれやれ。
遠距離恋愛は、出来れば冬がいい。
夜が長いから。たとえそれが気休めでも。
午前4時半。
夢の木坂分岐点はまだ遠い。
と、言っている人たちはその個性で嫌われることもあるのを了解済みで言っているのかいな。
「個性」は別に良くも悪くもなくて、そのせいで好かれたり嫌われたりしますが。障害も個性だということは「あなたの障害が嫌いなんです」という発言も受け入れてこそ言えること。
それも有りじゃん、という姿勢で言っているなら文句ないんだけれど、どうなんだろ。
一緒に生きることは一緒に死ぬことに比べて容易い。
夫婦であれ恋人であれ親子であれ、一緒にいる限り一緒に生きるのはある意味自動的じゃないか?
でも一緒に生きている限りどちらかが先に居なくなるのは避けられない。その先は?
「一緒に生きる」には、一緒に生きられなくなった後までの思いやりが必要なんだろう。